「今宵、フィッツジェラルド劇場で」

公式:http://www.koyoi-movie.com/
昨年末に癌で亡くなった名匠ロバート・アルトマンの遺作。
徹夜残業明けに渋谷のbunkamuraのル・シネマまで観にいってきました。
最近、このパターン多いな。


ミネソタ州にあるフィッツジェラルド劇場で長年に渡って公開生放送されてきた
人気ラジオ番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」。だが、放送局が買収
されてしまったため、今夜が最後の放送となる。


この映画は「プレイリー・ホーム・コンパニオン」最後の公開生放送をと
その舞台裏の人間模様を描いたヒューマンドラマです。


予告編を観て「これ絶対面白そう!」って思ってすっごい楽しみにしてたんですが、
正直ちょっと期待し過ぎたかな〜?


面白くないか?と聞かれれば、面白いことは面白いんですよ。でもね〜なんとゆうか、
今一つこの映画のノリ?にノリきれないモヤモヤがある。それを一言で表現するなら
“無批判”ってコトなんですよね〜。


ショーの内容自体、まあけっこう面白いことは面白いんですけど、出てくるのは
年のいったロートルがほとんどだし、演奏する音楽もよく言えば「懐かしい」し、
悪く言えば「古臭い」。だからこの番組が終わるってコトに関しても、ストーリー
上は放送局が買収されちゃったからってコトになってるけど、正直言って時代の流れ
として順当な気がしてしまうのも事実なんですよ。しかし、その点についての批判は
全く描かれない。「俺たちのショーは最高なんだぜ〜!」と信じて疑わない感じ?


その点に関する批判がちゃんと描かれていれば「あ、わかっててやってるんだな」と
思えて安心できるんだけど、実際はそうは見えない。だから、なんとなく観客のこと
置き去りにして、登場人物達がひたすら自己満足を演じてるように感じられてしまう。
そうゆうの、良くないと思うよ?エンターテインメントなんだからさ。


その他にも色々ツッコみたいことが山ほどありまして・・・


例えば、物語上“悪役”が明確に決まっているにも関わらず、その所業に対する批判
も全く描かれない。この物語上の悪役は、放送局を買収した“テキサスの大企業”って
コトになってる。まあ、そうゆうわけで、こちらとしても「多分典型的な南部の強欲な
金持ちで、融通の利かないファンダメンタリストなんだろうな〜。そこらへんをネタに
皮肉ったりするんだろうな〜」とか想像したりしてたんだけど・・・やらねえのかよっ!!
っつーか、全く触れられさえしないよ??どーなってんの???


あとは、劇場にはつきもののアレ。ってゆうか“憑きモノ”って表現した方がいいアレですよ。
このフィッツジェラルド劇場にも登場するんですが・・・いてもいなくても同じだなあ?
物語上の重要な役割を果たすワケでもないし(重要でない役にならたつ)、劇場に何がしかの
因縁があるわけでもない。出てくる意味がないじゃんよ??


そんなワケで、非常にモヤモヤを感じさせられるにも関わらず、画面上では登場人物達が
そりゃもう楽しそうに歌ったりしゃべったりを続けている。なんつーかね〜、接待でご年配の
お得意さんと「NHKなつかしのメロディ」を観にいって、会場の一種独特な盛り上がりに
ついていけずに、しかしツマンナい顔をするワケにもいかず・・・みたいなカンカクでしょうか。


ってコトでご年配の方にオススメ。若輩者は温かい目で見守る方向で。